
[ 駒飼 表面が木材の砂防堰堤(2025 09 23)]
笹子峠を越えると下り坂が続き、坊主沢という沢沿いの山道を進むようになります。
道沿いには砂防堰堤がいくつも見られ、大きいものは高さ10mを超えています。
不思議なのは、表面を木材で覆いコンクリートを見せないようにしている堰堤がちらほら。
ほとんど人が来ない場所で、何のためにどんな効果があるのでしょうか。
ここにお金をかけるより壊れかけてる堰堤を直す方が先だと思いますが。
途中から舗装された県道を歩くようになりますが、江戸時代の街道は沢を挟んだ反対側を通っていました。
現在では旧街道は木に埋もれ通行できません。

[ 駒飼 駒飼宿(2025 09 23):結構急な下り坂 ]
県道を下り人家が見えてくると駒飼宿です。
案内板の屋号を数えると30軒以上があったようです。
本陣跡は明治天皇御小休所の石碑が立つ空き地になっていますが、街道沿いに多くの民家があり宿場だった雰囲気がなんとなく感じられます。
県道からはずれた旧街道沿いには、段差のある大きな屋根が重なりあう特徴的な珍しい造りの家屋があったり、お城のような基礎の石垣が残っているところもあります。
坂が急なので県道は早い時期に別ルートへ付け替えられたようです。
この集落に「寿司屋」という屋号の家あるのですが、現在は普通の民家です。
昔は寿司を握っていたのでしょうか?

[ 駒飼 特徴的な屋根の家(2025 09 23) ]
視界が開けてくると沢筋をまたぐ中央高速のトラス橋が見えてきます。
上下線が高さの異なる別々の橋ですが、ちらっと見た感じは二階建ての橋のように見えます。
高速道路にしてはきつい勾配がある橋で、すぐにトンネル天井版の落下事故があった笹子トンネルに入ります。
山に囲まれた静かな駒飼宿でしたが、高速道路が見えてくるとそれなりに車の走行音も聞こえてきます。

[ 駒飼 二階建てに見える中央高速(2025 09 23) ]
坂を下り切ると甲州街道は国道20号に合流します。

[ 鶴瀬 国道20号と旧道(2025 09 24)]
笹子峠を下り、国道20号を諏訪方面へ進んで日川を渡ると鶴瀬宿に入ります。
鶴瀬宿の甲州街道はかつてS字状に曲がっていましたが、現在は国道20号がそのS字を縦に貫くように通っており、上から見ると逆$マークのような形になっています。
鶴瀬宿は山に囲まれ、日川が深い谷底を流れる地形だったため、かつては関所が置かれていました。
いまではその面影はまったく残っていません。
青い空には飛行機雲が自由気ままな方向へ白い線を引いていました。
鶴瀬宿の最寄り駅は中央線の「甲斐大和駅」ですが、聞きなれない駅名と思っていたら「初鹿野駅」が1933(H5)年に改名されていました。
甲斐大和駅付近の国道20号は、日本道路公団が新笹子トンネルを造った名残として、道路公団のコンクリート境界柱が現在も国道脇に残っています。

[ 鶴瀬 道路公団の石柱(2025 09 23)]
諏訪方面へは国道20号をだらだら下っていくのですが、狭いながらも歩道があるのでカーブがあっても安心して歩けます。
長柿洞門の手前で国道20号と別れ山道に入ります。
ここの山道は狭く急勾配なうえガレ場のようなところもあるので、ピークにある聖観音堂へ行くのは容易ではありません。
聖観音堂から甲州街道までの下りは滑り落ちそうなほどの急勾配で、距離こそ短いものの足腰の弱い人には厳しい道です。
落石を起こしてしまうと下の道まで落ちていきそうな急斜面です。
坂を下りると狭い甲州街道をしばらく歩きます。
舗装され道幅は2、3m程ありますが、往時は崖際の狭い道だったと思われます。
しばらく進むと国道20号に合流しますが、落石防止柵の工事中でガードマンの先導で工事現場を通過。
しだいに視界が開け甲府盆地が見えてくると甲州市勝沼です。

[ 鶴瀬 急坂と甲府盆地(2025 09 24)]

[ 勝沼 斜面のぶどう(2025 09 24)]
甲州市に入ると、甲州街道は国道20号から離れて県道へと移ります。
道の両側にはぶどう園が並び、道路に面したぶどう棚には立派な房がいくつも下がっています。
山のすそ野を走る「フルーツライン」の案内標識も見え、フルーツの里に入った実感がわいてきます。
勝沼は独立した自治体だと思っていましたが、いまは合併して甲州市になっていました。
勝沼の方が馴染みがあっていいと思うのですが。
どこのぶどう園も今はやりのシャインマスカットを看板に大きく出しています。
平日にもかかわらずどこのぶどう園にもお客さんがパラパラ入っていました。
歩きながら食べられる大きさのシャインマスカットを買って水分補給。
シャインマスカットは甘くておいしいのですが、水分補給には少し甘すぎるほどです。

[ 勝沼 下り坂がつづく勝沼のぶどう園(2025 09 24)]
せっかく標高1096mもある笹子峠を上ってきたのに、甲府に向かって延々と下り坂が続きます。
これだけ下りが続くと、この先甲府盆地から諏訪に向けての上り坂が心配になってしまいます。
勝沼宿は本陣や脇本陣だった建物は残っていませんが、江戸後期・明治期の商家、珍しい3階建ての土蔵、
明治期に造られた洋風の旧田中銀行など、歴史を感じさせる建物が所々に残っています。
沿道はちょうどシーズンだったこともありぶどう園ばかりが目につますが、小ぶりなワインの醸造所もあります。

[ 勝沼 勝沼宿の街並み(2025 09 24)]
ぶどうの房ごとに袋掛けするのは大変な作業ですが、収穫したぶどうの房を手に取り、形を整えるのもまた手作業です。
大事に扱われているぶどうは箱詰めされて各地に発送されているようでした。
勝沼のぶどうは1300年の歴史があると言われ、
甲州街道が制定された江戸時代はぶどう畑を見ながら旅ができたようです。

[ 勝沼 三階建ての土蔵(2025 09 24)]

[ 栗原 扇状地のぶどう畑(2025 09 24)]
勝沼がある甲州市から山梨市に入ると、街道沿いのぶどう園が少しずつ減っているように感じます。
栗原宿は笛吹川の支川である日川に沿った場所にありますが、現在は宿場だった面影を残すものは全くありません。
日川の堤防に上ると、甲府盆地を取り囲む山々がよく見えます。
ぶどう畑が広がっているのは扇状地の部分で、その上の山々は青々とした森林に覆われています。
日本の山は急斜面が多いため、山がいくらあっても農業に利用できる土地はごくわずかです。
旅行で見た、延々と続くスペインのオリーブ畑とは大きな違いがあります。

[ 栗原 大戸屋創始者生誕地(2025 09 24)]
何もない栗原宿ですが、大戸屋のロゴがある看板が目に入りました。
大戸屋グループ創始者の生誕の地だそうで、塀に囲まれた広い敷地のお宅でした。
この辺でも下り坂がハッキリと実感できるくらいの道です。

[ 石和 笛吹川の牛聖(2025 09 24)]
日川と笛吹川の合流点付近から甲州街道は堤防上の道になります。
川の中は草が生い茂り水面がほとんど見えないため、しばらくは単調で面白みに欠ける道が続きます。
しばらく行くと笛吹川を示す標識が現れ「牛聖」といわれる水制の模型が堤防下に見えてきます。
「牛聖」は川の流れを緩やかにし堤防側に土砂を堆積させるする効果があり、この地域で多く用いられた伝統工法で、武田信玄が考え出したと言われています。
笛吹川を渡る鵜飼橋の上から川を眺めていると、河原を鹿が歩いていました。
まだ斑点のある小鹿で、人間に気が付くと慌てて草むらの中に逃げ込んでいきました。
熊の出没が多い年ですが、熊ではなく鹿で幸いでした。

[ 石和 笛吹川を歩く鹿(2025 09 24)]
昔の笛吹川は石和付近で二筋に分かれ、その間に挟まれていた地域は今でも石和川中島という地名が残っています。
その頃の笛吹川の本流は、宿場の北側を流れる平等川とさくら温泉通り付近で、現在の笛吹川は甲州街道に橋も必要ないほどの小さな流れでした。
1907(M40)年の大洪水で流路が大きく変わり現在の姿になりました。
川の勾配が急なだけに大洪水が起きると、川の流れも一変してしまいます。
「川中島」という地名は、武田信玄と上杉謙信が激突した長野県の千曲川が有名ですが、山梨県にもあるとは思いもよりませんでした。

[ 石和 きれいに整備済された石和宿(2025 09 24)]
石和宿の甲州街道はゆったりとした幅の歩道が整備され、電柱・電線のない現代的な街路になっています。
本陣跡は土蔵が一つ残っているだけで、案内板がなければ気づかずに通り過ぎてしまいます。
この通り沿いには温泉旅館がないので、石和でありながら温泉街らしい雰囲気はありません。
唯一温泉街であることを教えてくれるのが、宿場の中ほどにある「あし足いさわ宿」です。
5,6人ほどが足を浸かれる小さな足湯ですが、歩き疲れた足には気持ちいい温泉です。

[ 石和 石和宿の足湯(2025 09 24)]